top of page

生活とがんと私 Vol.10 西部沙緒里さん


長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ

そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。

いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時

慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。

”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。



インタビュイープロフィール

お名前:西部沙緒里さん

職業:株式会社ライフサカス代表

中小機構中小企業アドバイザー

NPO女性医療ネットワーク理事

がん種:乳がん



 








早稲田大学商学部卒。博報堂を経て2016年に創業。前職在籍中、大病と不妊を経験したことから「働く女性と健康」の重大さを知り、現代女性がライフステージで直面する生きづらさ・働きづらさを支援。不妊治療や生殖の意思決定をテーマにした実体験Webメディア「UMU」を運営する傍ら、前職での人事・人材開発職務経験を活かした企業、行政、学校向け研修・講演活動の実績も多数。ビジネス/メンタルコーチ、ウィメンズキャリアメンターや、企業の人事施策・新規事業開発などのアドバイザリーも担う。「群馬イノベーションアワード2015」にてファイナリスト選出。個人では、女3人ユニットでポッドキャスト番組「edamame talk」も放送中。

目次


・がんと不妊治療を続けて出来たのは

・やるべきことを淡々と

・様々な役割を求められる女性を支援したい

・会社はまず寄り添う姿勢から始める

・がんに罹患した人と企業に伝えたいメッセージ




がんと不妊治療を続けて出来たのは


ーがんが分かった時のことを教えてください。


がんがわかった時は、私が会社員として中堅に差し掛かる頃でした。結婚していたんですが、自身がまだ30代でがんに罹患したのは晴天の霹靂でした。


ーその時、ご主人はどうされていましたか。


とても大変だったと思います。夫は6歳下で当時20代でしたから、私以上に現実感がなかったと思います。象徴的なエピソードがあるのですが、がんが分かって数日後に夫が数十ページにわたるリサーチ資料を作成して送ってきたんです。


ーどのような資料ですか。


乳がんのステージごとの状態についてや、妊孕性を保つことを考慮してくれる病院についてなどを多角的に分析した資料でした。それは二人で認識を共有するためと、両家に伝えるため、頭の整理をするために作られたものでした。後で夫に聞いたのですが、彼自身もこの現実をどう乗り越えていったらいいんだろうという、どうしようもないカオスな気持ちを落ち着けるために資料を作ったようです。たぶんなにかをしていないと気持ちの行き場がないし、保てないと思ったのでしょうね。


ーまず、状況の理解をすることがご主人にとって落ち着けることだったのですね。

ちなみに、当時はまだ突如宣告を受けて間もないタイミングだったはずですが、この初動ですでに、夫婦間の議論のベースに不妊に対応する病院の知識が入っていたのはなぜですか。


もともと二人ともいずれは子供が欲しいと思っていましたし、私にもがんになると妊娠する力に影響が出るかもしれないという基礎知識がうっすらとはあったので、がんがわかった時に夫にちょっと話したんだと思います。


ーがんになったから子供をあきらめようではなくて、何ができるかを考えていたのですね。


そうですね。どこまで前向きだったかわかりませんが。二人ともまだ混乱していたのですが、思考停止はしていませんでした。


ー治療方法はご主人のリストから選んだのですか。


そうですね。自分でもインターネットを見ながら情報収集し、話し合った上で選びました。



やるべきことを淡々と



ーがん治療をして、どれくらいしてから不妊治療を始めましたか。


私の場合、ステージ自体は早期だったこともありいったんは抗がん剤治療が不要とされたので、手術後2~3か月静養してそのあと不妊治療を始めました。


ー不妊治療とがん治療をどうやって乗り越えましたか。


渦中は淡々とやるべきことをやるというマインドでした。結果として子供を二人授かり、その間に無再発のまま5年を迎えられたんですが、治療の真っ只中にいた時はできるだけ心を動かさず淡々とやってきました。がん治療の後に不妊治療をしていなかったら、起業していなかったかもしれません。両方を連続して経験したからこそそれぞれの大変さがわかって、それで一念発起したというのが大きいかもしれないです。


ーご主人には心の揺れ動きを話しましたか。


話しました。意思決定に迷うときは話したので、良い伴走者でした。夫に対しては周期的に感情が爆発することもありましたが、夫はひたすら話を聞いてくれていた気がします。



ー周りの方々との関係はどうでしたか。


その時は友達、当時の創業メンバー、がんサバイバーなど当事者性を持っていた人にリアルなことを話していました。恵まれていたんだと思いますが、どこにも気持ちを吐き出せないというのは私の場合には少なかったです。



ーお話を伺っていて、しっかりと対話をしたり、感情を溜めずに出したり言語化したりすることを大事にされていると感じます。



大事ですし、一連の体験を経てますますその重要性を感じていますね。例えば、当社が運営するWebメディア「UMU」で行う読者交流の会や、企業研修などでも、出演者のストーリーテリングや私の原体験などを題材に、小さいグループで深く語り合うワークや個人を掘り下げるワークなどを取り入れています。前提として場に十分安心安全な空気を醸成してからの話ですが、社会や組織で出しにくい感情を出すことで、元気になる。参加者のマインドセットを整える場になっていると感じます。


ー社会や組織で出しにくい感情を出せる場って良いですね。


そうですね。声に出して語る、もしくは書き出して外部化することで、自分の経験がだれかの役にたつ、あるいは自分も自分自身の力で経験を血肉化できる、という成功体験にもなりますしね。