長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ
そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。
いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時
慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。
“がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。
インタビュイープロフィール
お名前:秋池 優子さん
職業:会社員
がん腫:乳がん
ステージ:ステージⅡ
治療内容:手術、放射線療法、 ホルモン療法
副作用:特になし
治療期間:4日間(手術入院)
復帰時期:1週間
勤め先 :大企業
利用した企業制度:(傷病・病気・治療)休職制度(有給)、 積立有給休暇
利用した公的制度:高額療法費制度、限度額適用認定
2年前、がん検診の案内が届いた際に何気なくセルフチェックし、気になる箇所を見つける。まもなく乳がん検診を受け、乳がんと判明。実父が食道がんで亡くなっていることもあり「がん=死」と捉えていて、怖い病気だと思っていたが、自身の経験はそれとは全く異なっていた。
目次
始まりはがん検診のお知らせ
‐乳がんが分かったいきさつを教えて下さい。
2年前の年末のことです。娘と私に婦人科検診のお知らせが届きました。娘にとっては初めての子宮頸がん検診で、不安もあるだろうなと思い、「ママも一緒に行くよ」なんて話をしていたんです。私には乳がん検診のお知らせも届いていたので、なんとなく胸に触れてみました。しこり、とまでは言いませんが、ぷよぷよしたものを感じました。柔らかいゼリーの中に杏仁豆腐が入っているような感じです。
なんだろう?という疑問は、検診で解消できるかと思い、マンモグラフィーと触診を受けました。マンモグラフィーが一方向だけだったので、疑問に思って担当してくださった女性の検査技師さんに尋ねたら、「50歳以上は一方向だけなんです。オプションでもう一方向の検査や超音波検査をすることもできますよ。」とのことだったので、触診をしてくださる先生に診てもらってから追加するかどうか決めることにしました。
‐検診の結果は?
あえて先生には何も伝えずに診てもらいました。触診後、先生からは「はい、大丈夫ですよ。」と言われました。問題ないと言われたものの、やはり右胸のぷよぷよしたものが気になって尋ねると、「それはマンモで分かりますから。」とサラッと言われ、再度触診されることはありませんでした。約1か月後に検診結果が届くと、5段階中の真ん中であると再検査の文字がありました。再度病院に行くと「マンモで気になるところがあります。念のため、大きな病院で診てもらってください。」と先生に言われました。 紹介先の病院で精密検査をしないと分からないことなので、意識的にがんについて考えないようにしていましたし、取り越し苦労であってほしいと思いながら過ごしていました。
また、日中働いている者にとって、職場から電話で病院の予約をとることは心理的にハードルが高かったです。誰かに乳がんの可能性を知られたら嫌だなと思い、電話を掛けるまで1週間かかりました。意を決して電話したものの1か月先の予約しか取れず、今思うとこの時間が一番無駄に過ごした時間だったと思います。紹介された聖路加病院で3月中旬の精密検査で細胞診を受けました。
‐細胞診の結果を聞かれた時にショックはありましたか?
ショックを受けたのは、細胞診を終えた直後、「次回、検査結果をお知らせするタイミングで、MRI検査も受けられるように予約していきませんか?」と言われたときです。検査結果を聞きに行く1週間後ではなく、今このタイミングでMRI検査の予約も済ませてしまう提案をする理由が、多くの患者さんを診てきた先生の経験からだとしたら、がんの可能性が高いのかもしれないと思ってドキッとし、動揺しました。
ショックを受けながらも、細胞診の結果を落ち着いて受け止められるよう、気になることを調べてから、検査結果を聞く日を迎えました。その日は、先生からがんであることを伝えられ、「初期の今、分かって良かったですね。」と言われ、私自身も即手術を受け入れることができました。 検査結果を踏まえた先生のお話を聞いていると、手術は全身麻酔はするけれど、おできを取り除くぐらいの手術かな、と感じたので率直にそう尋ねると、「そうです。コントロールしやすい状態ですよ。」とのお返事でした。手術前後に禁酒や運動など気を付けることがあるのかなと思っていたのに、特にそういった事項はなく、趣味のテニスも術後1か月ほどでできる、とのことでした。そういう話を聞くうちに、「がんって治る病気なのかも」と思えましたし、術後は無理なくできる範囲で腕を動かして筋トレしていました。
‐がんについて周囲に伝えたときの反応はいかがでしたか?
職場では、同期の友人でもある上司と、同僚に、別室を利用するなどして伝えました。手術の予定が決まってすぐのことです。同僚の人数も少なめですし、上司には私以外にも乳がんのお友達がいらっしゃいました。職場の半径5メートルには、もう2人のがんり患者が働いている状況でした。そのため、大げさに気遣われたりせず、でも復帰後3か月は出張を控えてくださるなど、配慮していただきました。
夫と娘は内心心配していたかもしれませんが、取り乱すことはありませんでした。先生からの説明をそのまま伝え、簡単な手術だと感じられるたから素直に受け入れられたのかなと捉えていました。一方、実家の母は、がんという言葉に大きなショックを受けるだろうと考え、術前は伏せました。
‐手術はいかがでしたか?
全身麻酔だったので、寝て起きたら終わっていました。ゴールデンウィーク明け、月曜から木曜まで入院し、金土日と休んで、次の月曜から職場復帰しました。
勤務先には積立有給休暇の制度があり、過去の年次有給休暇の未消化分を、病気などによる休暇として使えるんです。金曜日に出社しても良かったのですが、一週間単位での取得がルールだったので、手術を受ける週はそれを活用して一週間お休みしました。
‐復帰までがとても早いですね。不調などはありませんでしたか?
全くありませんでした。
‐ご自身がショックを受けたり悩んだりということはなかったですか?
がんの可能性を現実的に実感したときはショックでした。でも、一番悩んだのは、オンコタイプDXの検査結果を聞き、今後の治療をどうするか考えたときですね。手術後に遺伝子検査(オンコタイプDX)を受けてから方針を決めることを医師に勧められました。
オンコタイプDX
‐オンコタイプDXは2023年9月から保険適用になりましたが、かつては約45万円かけての自由診療でしたね。
私は公的保険適用になる前の検査でしたが、保険適用までの措置として無料で受けることができました。検体をアメリカに送り、数値で結果が出てきます。結果について、先生が1時間ほど時間を割いて説明してくれました。
‐どのくらいの数値ならば抗がん剤治療をするのですか?
再発スコア30以上だそうです。私は28だったので、セーフ!と思ったのですが、先生からは抗がん剤治療を勧められました。時間をもらって熟考し、抗がん剤治療を受けない選択をしたいと思い、周囲の人にも相談しました。その1人が、職場のがんり患者です。がん腫は異なりますが、治療を終えて元気になっている方だったので、オンコタイプDXの検査結果を見せながら、「化学療法の効果を否定できません」と記載された箇所をどう考えるか、理系同士、データについて意見を交わしました。私の気持ちを尊重し、背中を押してくれた面もあるのかもしれません。そうやって自分の考えを整理した後で、夫と娘にも伝えました。
国語の得意な娘にもどう解釈するか尋ねて、「効果はあるけど、もしなかったらごめんね、ってことじゃない?」という言葉になんだか妙に納得し、抗がん剤治療をしないと決めました。
‐抗がん剤治療をしないと決めた具体的な理由はなんですか?
服薬のみの場合と、服薬と抗がん剤治療を行った場合の上乗せ効果を、「5年再発または死亡率」と「再発スコア結果」の2軸で表したグラフから、抗がん剤治療の上乗せ効果を4~5%と認識しました。その数値をどう捉えるか迷ったのですが、効く人と効かない人との線引きができない曖昧な範囲ではないか、また、閉経移行期にホルモン治療して強制的に閉経となり、再発の可能性が低くなるのでは、と考えました。
抗がん剤治療を受けても再発した場合、自分の性格的に「抗がん剤治療を受けたのに!」と辛くなりそうでした。「抗がん剤治療しなかったから再発したんだ」のほうが気持ちの整理ができると思いました。そして、将来再発したときには、今より更に良い薬ができているとも考えました。医療の発展に期待したんです。
子どもも成人し、家族に対する責任が低くなってきたということもあります。今は仕事もしていますが、5年後10年後ならばもっと治療に専念できる環境になります。コロナ禍で、抗がん剤治療による免疫力低下や飲む薬が制限されることへの不安もありました。そして、脱毛や体重増加などの見た目の問題。5年後10年後ならばもっと許容できるし、今から更に健康に気を付けて、今の生活を楽しみたいとも思いました。1分1秒でも長く生きたい、というより、自分の好きなことをやって人生を全うしたい、そのためには体力もお金もあったほうがいいし、見た目が大きく変わってしまうことも避けたかったのです。
このように考えたのは、術後に体調不良もなく、普通に生活できていたことも大きいと思います。だからこそ、再発しても乗り越えられる、そんな気持ちを持てたのだと思います。抗がん剤治療を否定する気持ちはなく、自分自身がこの先の人生をどう生きていきたいかを考えた結果の選択だったのです。
そして、その選択の理由を手紙で先生に伝えることにしました。
‐今、そのお話を聞いて初めて、そういう選択もあるのだなと感じました。
納得いくまで考え抜いた個人の一例です。実は私自身が悩んでいたとき、初期のステージの方の事例をあまり見つけられませんでした。がんとひと言で言っても、いろいろなケースがあることを知ってほしいですし、自分の経験を語ることでお役に立てることがあるならぜひ活用してほしい、と思っています。
‐お手紙で先生に気持ちを伝えたのには理由があるのですか?
押川勝太郎先生のYouTubeをよく拝見していて、そこでお手紙を書くことをお勧めされていました。
主治医と患者がお互いに理解することも、後から見返すこともできますし、私自身も考えを深め、整理するのに役立ちました。
手紙を先生に渡す前は、受け入れてもらえるだろうかと不安になりましたし、先生にすんなり受け入れられたときには良かったと安心もしました。でも、その数日後には“自分の希望を押し通して、見放されてしまったかな”と疑心暗鬼にもなりましたね。手紙を先生に渡した次の診察時、先生に“もう勝手にしてくれと思われたかも…”と不安に感じたことを伝えると、「ご本人のご希望であっても、医師として抗がん剤治療が必要と判断したときには説得しますよ。」というお返事だったので、やっとそこで安心できました。
‐では、退院後の治療方針は?
放射線治療とホルモン療法です。今はタモキシフェンというお薬を服用しています。
‐退院後の治療で使った会社の制度はありますか?
ないですね。放射線治療時は毎日病院に行くのですが、テレワークなど組合せて調整しました。今は1日1回の服薬だけで、何の負担もなく治療を続けられています。
過去の自分と今の自分
もし10年前、40代前半の頃にり患していたら、こんなに物事を早く進められなかったと思います。子どももいるのに…と不安だけが先走り、検診の結果を聞きに行くのも怖くて、ぐずぐずして、悪化させていたでしょう。がんって、とても大変な病気、と思ってしまいますよね。でも思考停止したり、迷ったり、ためらったりしている間に腫瘍が大きくなってしまいます。
実際、私自身の胸のしこりも、ぷよぷよした感触から、小豆のような触り心地・サイズになり、術前には枝豆や大豆っぽい感じに変化していきました。友人からリクエストされたこともあり、 実際に触ってもらったりしました。乳がんは自分でチェックできる病気なので、万が一の時はこの経験を活かしてもらえたらと思っています。
自治体によって年齢は異なるかもしれませんが、乳がんは40歳以上になると2年に1度、自治体から案内が届きます。その世代はもちろん、より若い世代でも、自分で触ってみて、少しでも気になることがあれば、すぐに検診を受けるなり病院を受診するなりしてほしいです。
‐今は女性の医療従事者も多いですから、そういう意味でも検診のハードルが低くなっていますね。
そうですね。私の検診では医師も検査技師も女性でした。そういう面では恥ずかしさのハードルが低くなっていると思います。その一方、3泊4日の入院でも、小さい子どもを抱える女性には長く感じてしまうことでしょう。でも、いろんなところに相談すれば何とかやりくりできます。早期発見早期治療できれば、時間もお金も身体的な喪失も最小限に留めることができます。治療費は、入っていた保険でカバーできました。入院2日目に手術を受け、翌日にはお見舞いに来てくれた友人と、病院内のカフェでお茶できるほど元気でした。
このような予想外に早く終わる事例があることを知ってもらい、がんの可能性が疑われたときに、怖くて考えたくないではなく、自分のため、家族のために早く治療して、早く元気になれる道を選んで欲しいです。
手術前、ママ友ランチ会で乳がんのことを話したところ、前年に同じ病院でステージ0で全摘した方がいました。今も1年前も変わらず美しく、賢く、元気な彼女を見て、自分も手術後にきっとすぐ元気になれるという思いが確信に変わりました。その確信通り、手術後もすぐに日常生活に戻れました。
手術前に、手術後のポジティブなイメージができたことは、元気になるのに役立ちました。
がんり患=不運で不幸なこと?
‐り患の前後でご自身の考えに変化はありましたか?
私は父を食道がんで亡くしているため、がんは不運で不幸な出来事だと思っていたのですが、自分が実際に経験してみて、がんり患は不運だったかもしれないけど、不幸ではない!と感じました。
り患を機に、私は自分自身の棚卸しができたと思っています。自分は何を大切にして、どう生きていきたいのか、それを考えるきっかけになりました。
手術を受けた年の夏には母とタイに旅行しました。母にがんを伝えたらショックが大きすぎると考え、伝えずに手術を受けたのですが、今後、万が一のことがあった場合、何も伝えないことが一番後悔するだろうと思っていました。
幸い直ぐに元気になったので、母が行きたがっていたタイ旅行をプレゼントして親孝行が出来ました。旅行中傷跡を見せたのですが、母は「私の乳首を代わりにあげたい」と言ってくれ、母の愛は深いなと感じました。けれども、「私は今のこの状態にとても満足している」と本心を伝えることができました。
先日は、10年に1度ある2週間のリフレッシュ休暇と有給休暇を合わせて、25日間世界一周旅行をしてきました。ずっと行きたかったマチュピチュとモロッコを経由するルートを考えました。
‐素敵ですね。表現が適切でないかもしれませんが、羨ましいとも感じます。
世界一周の1人旅も、がんにり患していなければ行かずにいたと思います。いつか行きたいな、そのうち行けるかな、と考えて先送りしていたことでしょう。でも、がんになったからこそ、やりたいことをやれる体力・気力・お金があって、贅沢を享受できるうちにやろう、という思考に変わり、実現させました。
仕事と治療の両立支援に期待すること
‐仕事と治療の両立支援で、こういうことがあったらもっと良かったというようなことがありますか?
私の職場は法律的にさまざまな制度が整っています。その点で不満はないですね。
ただ、自分が経験して感じたのは、複数の部署に書類を提出するので、ワンストップで終わらせることができたら本当にありがたいな、ということです。
これから手術を受ける、という人は心配事がいろいろあります。そういった状況で多くの手続きをする負担はかなりのものです。
‐さまざまな手続きについて冷静に考えられるような状態ではない、と。
そうなんです。印鑑の押し漏れがないか、何をどこに記入するのか、書類の作成漏れはないか、など、完璧にできているかチェックしてくれる人がいたらと思いました。相談ができて、アドバイスもしてもらえると本当にありがたいなと感じたので、自分の体験を繋げていける機会があれば、ぜひお手伝いしたいと思っています。今、状態が落ち着いていて様子見の人(経過観察中の人)や、軽症の人の情報は少ないと感じたので、そういった部分を知りたいと思う方に届けられたら嬉しいです。
特にがん検診を受けてほしい、若い人も気になることがあればすぐ受診してほしい、と強く思っています。治療となれば、負担が皆無ではないかもしれませんが、早ければ早いほどわずかな負担で済みますから。
‐秋池さんのしこりに触れられた周囲の女性は貴重な体験をされ、セルフチェックの際の判断基準のようなものを得られたと思います。ライフステージや個人の状況によって治療の負担感が変わることはあるとしても、早期発見早期治療を経験したからこそ、それが社会に浸透してほしいという強い思いが伝わってきました。 自分を見つめなおし深く考えることは、容易なことではないと痛感します。実際、面倒だとかハードルが高いと感じたり、誰かが出した答えに乗っかりたくなったりした経験はすぐに思い起こすことができます。岐路に立ったときにどう振舞うか、人生の舵を取るのは自分自身であることを、秋池さんの体験から学ばせていただきました。
抱える事情も深刻度も人それぞれですが、人生の要所要所で棚卸しが必要になったとき、振り返り、整理して、考えたことを周囲の人と伝え合う。そうして次の道に進んでいくことが、自分が求める“幸せ”に近づいていける鍵なのだと感じました。
2024年7月24日
語り=秋池 優子
取材=がんと働く応援団 福島 瑛子
文 =がんと働く応援団 碇 一美
写真=ご本人提供
※本記事はがんを経験された個人の方のお話であり、治療等の条件や判断は1人1人異なります。全ての方にあてはまるものではありません。
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