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生活とがんと私 Vol.16 石川 邦子さん

更新日:3 日前


長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ

そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。

いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時

慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。

”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。



インタビュイープロフィール




お名前:石川 邦子さん 

職 業:フリーランスのキャリアコンサルタント

がん種:多発性骨髄腫

ステージ:難治性   

治療内容:化学療法



 


元トランスコスモス株式会社 専務取締役。25歳で管理職、35歳で役員となり、人材の採用・教育に携わる。44歳で退職・起業し、カウンセリングとアロマセラピーによるストレスケアのサロンの経営と企業向け社員教育・講演などを中心に活動。58歳で多発性骨髄腫にり患。現在は、企業向けカウンセリング、企業内キャリア支援室スーパーバイザー、カウンセラー向け研修及び両立支援コーディネーターとして活動中。

一般社団法人 日本産業カウンセラー協会 シニア産業カウンセラー

国家資格 1級キャリアコンサルティング技能士

目次


・石川さんのがんストーリー

・移植の翌月仕事復帰

・頑張りすぎず、怖がりすぎず、がんとつきあっていく

・フリーランスでも待ってもらえた

・り患した人へ伝えたいメッセージ~自分の為に伝える

・支援する人に伝えたいメッセージ~不安や辛さは様々、寄り添って語ってもらう



石川さんのがんストーリー


―がんがわかった時のことを教えてください


り患の8か月ほど前から背中が痛くなり、整形外科に通っていたのですが、診てもらっても原因不明でした。その後、めったにひかないひどい風邪をひき、同じ病院の内科で診察を受けました。年齢的に肺炎の恐れもあると言われCTを撮ると、第七胸椎を圧迫骨折していることがわかりました。私は、圧迫骨折のことは何も知らなかったので、インターネットで治療法を調べると”安静にすること”と書いてありました。医師から何の指示もなかったので気になり、確認すると、「それはお年寄りの人の場合であって、自然治癒するまで出来ることはないですね。無理な運動はしないように。」と言われ、痛み止めで様子をみていました。

同時に、圧迫骨折は上皮がんの骨転移が疑われるのでMRIを撮りましたが、その結果は問題なしでした。圧迫骨折のことも含めて不安だった私は、その病院に昔から臨時で来ているI先生の診察日に相談し、I先生から「圧迫骨折の画像が気になるので、念のため血液検査をするように。」と勧めていただきました。しかし、血液検査結果について医院長は「特に問題なし」と診断され、不安だけが残りました。納得できずに検査結果の一項目ずつネット検索していくと「涙滴赤血球を認めます」の一文が気になり、またネットで調べると難病が出てきてさらに不安になりました。素人が調べていても埒が明かないので専門家に診てもらいたいと考え、セカンドオピニオンを受けるべく紹介状を書いてもらって日赤医療センターに行きました。


―それまでどれくらいの時間が経っていたのですか?


CTを撮ってから、だいたい3か月位経っていました。日赤では当日代理の先生が診てくださり「最終的には骨髄をとらないとわからないけど、多発性骨髄腫という血液のがんだと思う。」と言われました。そして、次に改めて検査すると全て遅れてしまうので、急ですが当日骨髄穿刺をすることになりました。

骨髄穿刺の結果、やはり多発性骨髄腫でした。私は骨髄の難病の方が怖かったので、標準治療法があるがんだったことに安心しました。私の家が元々がん家系だったこともあると思いますが、自分の体でなにが起こっているのかがわからない、という状況の方が不安だったので、がんとわかって安心したのです。

翌週改めて部長先生の診断をうけ、多発性骨髄腫と告知を受けました。前回診察してくださった代理の先生から入院が必要と言われていたので、12月の忙しい時期でしたが、調整できる仕事は調整して12月18日からの入院を考えていました。それで部長先生に「今年の正月は病院ですね?」と聞くと、年末は病院がお休みであると伝えられ、「では年明けから再入院ですか?」と聞くと年明けからは通院でいいと言われました。最初の入院は副作用を確認するもので、その後は通院で抗がん剤治療を4クール続けるという導入寛解療法を知りました。そこで通院でいいなら、仕事もできるのかもしれないと思って確認すると、大変な仕事でなければ良いとのことでした。つまり、立って行う研修は控えて、転ぶようなところ(転倒の危険がある寒冷地)に行かなければカウンセリングも出来ると言われました。



移植の翌月仕事復帰


―いつから仕事復帰をされましたか


治療法が通院に変わった1月から復帰しました。1月からの治療では副作用が少なかったです。


―治療中の副作用はずっと少なかったのですか?


いいえ。その後にありました。多発性骨髄腫の標準療法である導入寛解療法では4クールがんを抑える化学療法をして、少し間をおいて自分の骨髄を移植する「自家移植」をします。予め健康な骨髄をとっておき、その後白血球が0になるまで、きつい抗がん剤を投与します。移植のための入院は6月でしたが、下痢、吐き気、食欲不振、だるさ、しびれ、脱毛などの副作用がありました。

もちろんその間は仕事をキャンセルしましたし、6月末に退院したあと、7月は体力回復に充て、8月から少しずつ仕事をして、9月には本格的に仕事を再開したのですが、治療の予定がわかっていたので仕事の予定も立てやすかったです。


頑張りすぎず、怖がりすぎず、がんとつきあっていく


―仕事復帰するにあたって気をつけたことは


がんについては周囲にオープンにして、仕事で出来ることと、出来ないことを明確にしました。仕事を依頼する相手の視点に立つと、復帰後どれくらい仕事が出来るのか分からないことが不安につながると思います。ですから明確にした上で、頑張りすぎず、怖がりすぎず仕事をするようにしました。医師からも無理をしないように言われていたのですが、どれくらいが無理をしない程度なのか分からず、最初のころは結果的に無理をして辛くなったこともありました。でもそれも、自分で段々コントロールできるようになりました。



ー治療も復帰もすごく落ち着いてらっしゃったように聞こえます


最初の治療の時は落ち着いてました。多発性骨髄腫は2011年ぐらいまでは不治の病と言われ、5年生存率も低かったのですが、2011年から様々な薬が承認され、5年生存率もあがってきました。私がり患したのは2016年だったので色々な薬が使えるようになり、どの薬が合うのかが検討出来、標準治療も確立されていました。ただ、私の場合は染色体異常で予後が悪く、主治医から「絶対、治療を途中で辞めないように。」と言われていました。自家移植後は、一年半ぐらいは完全奏功でしたが、再発をしました。その後通院で抗がん剤治療をしながら、どういう治療をするか検討していた時に、ちょうどCAR-T細胞療法を多発性骨髄腫に適用する治験がありました。たまたま治験を受ける予定の方の具合が悪くなり、私が2018年に受けられることになりました。この時の副作用はサイトカインで高熱で苦しみました。その後2年弱くらい完全奏功で尚且つ無治療だったので、とても身体が楽でした。その後2021年に再発して、結果的に5カ月間ほど入退院を繰り返しました。


ーがんと長い間闘っていらっしゃるのですね


私は闘うという言葉は好きじゃないんです。病気になったのは「事実」で変えられることではありません。だからこそ、がんを受け入れて一番いいと思えることを選択しながら付き合って行くしかないと思っています。


フリーランスでも待ってもらえた


ーフリーランスで働いてらっしゃいますが、フリーランスでり患された方へのアドバイスをお願いします


経済的、年齢的な問題もあると思いますが、私は仕事を続けた方がいいと思います。それも無理のない範囲で出来ることを行うことです。無理をすると、出来ないときに落ち込んでしまいますから。私の場合は、複数の企業と直接契約を結んでいますが、状況を話したら「治療優先で休んでください、でも元気になって帰ってきてください。」と待ってもらえたのがありがたかったです。


ーそのような関係を築くにはどうしたらいいですか


そうですね。待ってもらえる価値がないといけないので、仕事の成果を出すことがやっぱり必要だと思います。


自分の為に伝える


ーり患した人に伝えたいメッセージ


自分のことは伝えていかないと伝わらないということです。私がり患して最初に読んだのは、ジャーナリストの千葉敦子さんの『良く死ぬことは、良く生きることだ』『昨日より今日』でした。

すごく前に乳がんになられた方なのですが、本人への告知もしない時代に自分のことは自分で決めたいと考えて単身ニューヨークへ移住されたジャーナリストです。この方の本は大学院の時に教授の紹介で一度読んでいたのですが、その時は重過ぎると感じました。でも、り患して改めて読むと、り患者だからこその視点で示唆に富む内容でした。自分のことを自分以上に考えている人はいないから、自分のことは医者任せにしないで自分で判断すると書いてあってとても納得しました。

り患した当初はショックを受ける人が多いと思います。けれども、がんに限らず病気になった人は、健康な状態を維持できなくなった自分の体や人生と向き合わなくてはなりません。「かわいそうって言われたくない」という方、「周りの方の配慮が足りない。それぐらい察して欲しい」とおっしゃる方もいます。でも、すごく厳しい言い方をすると、自分のことをかわいそうって思っているのは自分自身ではないか、と思うんです。がんになったことがない人に分かって貰うのは無理なんです。相手は良かれと思ってやっているかもしれない。だから嫌なら嫌と言わないとわからないし、自分はどういう状態で何をして欲しいのか、こちらから伝えないと相手にはわからないと思います。科学的な治療はもちろん必要ですが、免疫力を高めることも大切です。ストレスをかけるようなものの考え方は辞めた方がいいと私は思っています。だから伝えることは相手の為じゃなくて、自分の為です。


不安や辛さは様々、寄り添って語ってもらう


―支援する人に伝えたいメッセージ


今言っていたことと真逆の事をこれから話します。治験の治療をして、2020年まで私は自分をコントロール出来ていたので思い悩むことはありませんでした。でも流石に2021年の再発は堪えました。再発でがん治療をしていくということは、それまでの治療はもう効かないということで、使えない治療が増えていくということなんです。多発性骨髄腫の場合は新薬が開発されているのでまだいいのですが、使える新薬が減っていく不安と、またあの辛い治療をしなければならないのかという不安と、効かなかったらどうしよう等の新たな不安や辛さが出てきます。治療について客観的に理解しているからこそ、これからのことが見えてしまうのです。私も入退院を5か月間繰り返した時に、そう捉えない方がいいと分かっていても、つい悪い捉え方をしてしまったりして、初めて感情をコントロールできなくなった事がありました。このように、その人によって不安や辛さは様々で、理解することは難しいと思います。

だからこそ、サポートする側の方は自分で判断せず、り患した人に話や気持ちを語ってもらい、聴いて寄り添って欲しいと思います。

私は今まで、「医学の進歩によりがんは、慢性化しており、がん=死ではない」と良い意味で皆さんに伝えてきたのですが、反対に言うとそれだけ治療が長引くということなんです。私のようにずっと治療をしている人ではなく、治療をいったん終えている人でも、実は5年生存率をとても気にしています。再発するのではないかという恐怖を常に抱えています。だから、ちょっと体調が悪いと「どうしよう」と不安に思っています。そういったことを理解していただきたいと思います。常に病気のことを頭の片隅で気にしている、そんな人生を生きているのです。

周りから見ると一時期大変そうだったけど、体重も戻ってきて大丈夫そう、治ってよかったと思うかもしれませんが、実際は平気なふりをしていたり、いつ再発するかわからない不安を抱えています。だから、色々な感情を持っていることを踏まえて対応して欲しいのです。

がんサバイバーをこれだけ続けてきて、私も初めて気づいた気持ちです。


ーサポートする側はどのように対応したらいいですか


人によって望まれることは違うので、相手の方に寄り添って語ってもらうことが一番大事だと思います。カウンセラーの方によく言っているのは「無知の姿勢」です。