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生活とがんと私 Vol.17 髙木 健二郎さん

更新日:2月6日


長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ

そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。

いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時

慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。

”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。



インタビュイープロフィール




お名前:髙木 健二郎さん 

職 業:会社員

がん種:胸部食道がん

ステージ:ステージ3

治療内容:化学療法、手術(外科治療)

治療期間:3か月


 


1963年群馬県生まれ/広告代理店勤務

2012年3月、48歳の時に「胸部食道がんステージ3」と告知され、2クールの抗がん剤治療後、食道を切除し胃を管状に再建して食道の代用とする食道亜全摘胃管再建術を受ける。2020年、国内に患者会が無く孤立しがちだった食道がん患者の支援団体を仕事と両立しながら設立。現在に至る。

一般社団法人食道がんサバイバーズシェアリングス 代表理事

日本食道学会広報委員

一般社団法人ピンクバルーン 理事


目次


・髙木さんのがんストーリー

・病院によって治療方針が違った

・6か月で職場復帰はしたけれども

・食道がんの人が気をつけること

・仕事をする上で変わった事

・食道がんサバイバーズシェアリングス立ち上げ

・がんになった方へのメッセージ

・患者会を立ち上げたい方へのメッセージ



髙木さんのがんストーリー


―がんがわかった時のことを教えてください


ある日御飯を食べていたら、食べ物が胸の辺りでちょっと引っかかる感じがしました。そのころはお酒を沢山飲んでいたので、胃を痛めたのかなと思いつつ、1週間後に予定されている人間ドックで見てもらえればいいかなと考えていました。

人間ドックで内視鏡検査をして、検査の最後に先生と内視鏡の画像を一緒に見たのですが、そこに小さな蚊に刺されたようなものがありました。先生から「何か腫瘍がありますね」と伝えられましたが、その時には胃潰瘍とか、何かそういうものだと理解していました。

その先生から「ここではちょっとわからないから」と、総合病院で判断を仰ぐことを勧められて、検査結果を持っていったら、初見の先生に「これは食道がんです。ステージ2から3ぐらいかもしれません」と言われました。

それですぐに、翌週手術することになりました。そのころの私は進行がんの意味も知らなかったので、ものすごく進行が早いがんだから翌週手術なのだろうな、と理解しました。

診察室を出て、妻に電話をし「一応こういう結果だったので来週末手術する。これから1回会社に戻って会社に報告をして、その後家に帰るから」と伝え、手術の手続きをして、タクシーに乗りました。

そうしたらタクシーに乗っている間に妻から電話があって、今すぐ病院に戻ってキャンセルするようにと言うのです。私が「いやいや来週手術って言われて、もう予約もしてきたし、キャンセルなんてそれは無理だよ。なんでそんなこと言うの?」と聞くと、妻は「母が、がん専門病院出身の先生を知っているので、一度話を聞いてみた方がいい」と言うのです。そこで押し問答をしたのですが、結局妻に押し切られて、先程の病院に戻り、渡したデータや写真を返してもらい、手術をキャンセルして、義理の母に紹介してもらった先生のところに行きました。その先生からがん専門病院への紹介状を書いてもらって、その病院でもう1度検査をしてもらいました。すると先生から「治療方針としては、先に抗がん剤を2回し、その後に手術を行うので手術は2ヶ月後の5月中旬ぐらいになる」と言われました。

それを聞いて「先に行った病院では翌週手術って言われました。進行がんと言われていますけど、2ヶ月先で大丈夫ですか?」と尋ねました。その頃はがんについて何も知らなかったのです。

でもよく聞くと、抗がん剤治療後に手術をする方法が今(2012年当時)の標準治療で、私の状態であれば一番再発を防ぐ可能性がある治療で、他に放射線治療もあるが、放射線でがんは小さくなるかもしれないけれどもステージ3だし、原発のある食道が残るので、再発する可能性がちょっと高くなると言われて、私は再発の可能性が低くなる外科手術を選択しました。




病院によって治療方針が違った


-病院によって治療方針が違って戸惑いませんでしたか


何も知らなかったのでびっくりしました。最初の病院では、なぜすぐ手術なんて言ったのだろうとか、説明も全然違ったとか考えて、色々悶々としました。

もしあの時妻に電話してなかったら、当然手術しているわけです。結果がどうだったかは分からないですが、手術後に標準治療っていうのがあると知ったら、私は発狂していただろうなと思います。なんで他に方法があることを言ってくれなかったのだろう、なんで翌週手術と言ったのかと、7~8年経ってもずっとひっかかっていました。それがこういう事かも、と思えたのは去年のことでした。

私は患者会を作ってから、食道がんについて医師の方々と話す機会が多いのですが、そこで分かったのが、僕が手術をした2012年は食道がんステージ3の抗がん剤のタイミングや標準治療が変わった時期だったということです。それまでは、術後に抗がん剤をするのが標準治療だったそうなのですが、手術前に抗がん剤をした方が成績がいいと分かって、標準治療仕様になったのが、ちょうど2012年にかけてなのです。

ちょうど変わるタイミングだったと思うと、なんとなく自分の中で腑に落ちました。


6か月で職場復帰はしたけれども


しごと復帰について教えてください。6ヶ月で仕事に戻られたのですよね


そうですね。3月1日にがんが発覚したのですが、手術やリハビリをして9月1日に復帰しました。ただ、食道を取っていたので体重が13キロ減り、体力はだいぶ落ちていました。

手術で食道をとって、胃を管状に再建して喉に繋げているので、繋げた部分が狭くなっている影響から、食べ物が詰まってあまり食べられなかったのです。

そういう吻合部狭窄があったので、腸に穴をあけて腸ろうを半年ぐらいしました。

復職後もお弁当は食べられないだろうからと、雑炊を作ってもらって持って行っていたのですが、それもやっぱり食べられなくて、腸ろうを夜自宅で3時間くらいかけて行って栄養をとっていました。腸ろうをしている間はどこかに出かけることも出来ないし、横になってビデオを見たり、本を読んだりすることしか出来ないので、時間をとられるのが辛かったです。

その後に、内視鏡みたいなものをいれて、狭窄部分を広げるバルーンというのを2回して食べられるようになりました。今も詰まり感はありますけど。

それと術後に反回神経っていう声帯を動かす神経が麻痺してしまったので、声が一切出なくなりました。術後の後遺症で左側の神経が麻痺してしまって、左側の声帯が開いたままになっていました。その為、のどの手術を翌年の1月にするまで声は出なかったです。

手術で声帯がくっついている軟骨を引っ張って、立てて、固定をしたのですが、今でも右の声帯だけが動いていて発声ができている状態です。


食道がんの人が気を付けること


-今も食事のときに気を付けていることはありますか


吻合部狭窄なので、あまり量は食べられませんし、食べ物が詰まった時には少し指を突っ込んで出したりします。それから胃を筒状にしたので、本来の胃の機能である逆流防止がないため、食べたものが逆流しないように寝るときはちょっと上体を高くして寝ています。逆流すると胃酸でのどが焼けるぐらい熱くなって2時間3時間眠れなくなってしまいます。しかも、それを無理して飲み込むと誤嚥してしまうのです。実際僕は術後の年の12月に誤嚥してしまって、1ヶ月入院しました。

誤嚥すると微熱が出るのですが、風邪だと思って、2週間ぐらいほったらかしにしていました。そうしたら、かなり危険な状態だったらしくて、病院に行って先生に診てもらったら、すぐに入院するように言われました。その場で抗生物質の点滴をして、1ヶ月ぐらい入院しました。


-仕事復帰されてからも入院や手術があったのですね


そうですね。最初に告知されて治療方針が決まったときに、大体どのようなスケジュールなのか聞いていましたし、術後3ヶ月ぐらいで、復帰される方が多いっていうのも聞いたので、会社にも治療方針や、もしかすると3ヶ月後に復帰できるので、どうしたらいいかと話はしていました。そしたら有給と休職を組み合わせて、まず3ヶ月休職して傷病手当金をもらい、有給をその都度とっていけば、何とかなると言われ、休みをとっていました。ただ、その年は3ヶ月休んでしまっているので、翌年は手術した年に付与される有給がもらえないので、翌年の治療を考えて残っている有給は残したかったのです。

それを考えながら使わなきゃいけないなと思っていたのに、12月の誤嚥性肺炎で1か月入院になったのは想定外でした。これだと有給不足になると思って、抗生物質を点滴する時間が1日16時間、インターバルが8時間あったので、病院に、インターバルの時間を日中にしてもらえないかとお願いし、その間に出勤しても良いかと交渉しました。

そうしたら、たまたま僕の病院から会社まで30分だったし、容体が落ち着いているからいいだろうと許可が出て、朝9時ぐらいから会社に行って、8時間経ったら戻ってくるっていう生活をしていました。病院からは前代未聞だって言われましたけど、言ってみるものですね。

僕は営業だったので、それまでも夕方ちょっと早めに会社を出て、直帰で帰ることもあったのです。だから会社のみんなは、病院から来ていると思ってないし、入院しているとは思ってなかったです。


仕事をする上で変わった事


-仕事に戻られて、仕事に対する姿勢などはお変わりにならなかったですか


気持ち的には変わらなかったので、今までの自分のパフォーマンスと変わりがないってことを見せたいと思っていました。でも、やはり以前のパフォーマンスが取れなくて、だんだん迷惑かけていると自覚していきました。それで、会社とも相談をして仕事の内容とか、配慮はしてもらいました。


-以前に比べ難しかったことはどんなことですか


仕事の内容ではないのですが、営業だったので接待とかするのですが、それが難しかったです。接待に行っても、食べられないし、酒も飲まないし、食べ物が狭窄部分に詰まったらちょっとトイレに行ってなんとかばれないようにしていたのですが、やっぱりお客さんからしてみれば、涙目で帰ってくるのを見て「大丈夫ですか?」ってなるのです。それを何回も重ねていくうちに、自分でも大丈夫じゃないし、迷惑かかるから行かない方がいいと思うようになりました。それで、営業としての一線はちょっと控えたいと話をしたことがきっかけで、会社と相談するようになりました。


-時間の経過につれて仕事内容に変化はありましたか


仕事の量はその時は少し減らしたのですが、だんだん増えていきました。それで食事が出来るようになったら、お客さんと会食に行ってみたりもしました。今度は先にそういう人間関係の部分の中で話をできていたので、「食道がんってどんなだったのですか」とか「お酒は飲まない方がいいですよ」とかそういった話も話題になると認識し始めたので、それはそれで良かったというふうに思いました。


-会社にあった制度で、治療と両立に役立ったものはありますか


手術の時に使ったのは有給と傷病手当だけでした。ただ、会社の制度が徐々に通常勤務から、部署ごとの時差出勤になって、その後フルフレックスになったので治療と両立するのに助かりました。遅刻とか早退という概念がなくなり、月に何時間っていう勤務時間の縛りと、横の仕事の繋がりの中で、自分で勤務時間を設定できるのがものすごく便利です。やっぱり今でも検査には行っているので、検査だからちょっと会社行けないとかではなくて、違う時間に働いているということで周りも気にしないですし、フルフレックスっていうのは素晴らしい制度だと思います。



食道がんサバイバーズシェアリングス立ち上げ


-髙木さんは食道がんサバイバーズシェアリングスの代表として活動に力を入れてらっしゃいますが、立ち上げようと考えたのはなぜですか?


2012年に食道がんになって7年間ぐらい、他の食道がんの方とは喋ったことがなかったのです。患者会にも行ったことがないし、他の人に何か相談するものではないと思っていました。でも再発っていう部分については考えていかなければいけないし、もし再発した時の為に、いろいろ勉強しようと思いました。

それでインターネットを見ていたら、キャンサーネットジャパンとか、日本対がん協会っていうのがあるのを初めて知りました。その中でキャンサーネットジャパンのイベントで、がんサバイバーが、色々な思いを外に発信するみたいなワークショップがあったのを見つけ、ちょっと行ってみようかなと、その時なぜか思いました。

そこで、初めて他のサバイバーとしゃべったのですが、若い人から年配の人までがん患者が自分の経験を社会に発信することで、何か社会貢献出来るのではないかって色々考えていることを知って驚きました。がん患者ってそんなこと考えるのかって。

僕はそれまで自分のがんの経験を誰かに話すなんて一切考えたことがなかったので、すごいカルチャーショックを受けて、そのときに自分も何か社会貢献したいと、スイッチが入ったのです。でも何していいか分からなくて、日本対がん協会さんとかのイベントやセミナーに、どういう人が来ているのか興味が沸いて、どういうことやっているのか知りたくて参加しました。その中にはボランティアとして参加したものもあるのですが、それでも自分が出来る社会貢献は何か分からなかったのです。ただそんなことをしていると、横の繋がりだけは、広がっていきました。そこで2019年の年末に、食道がんの専門医の先生が交流会を開くので、食道がんの患者として来ないかと誘われて行くと、4人の先生がいらっしゃって、食道がん患者の患者会が日本にはないことを初めて知りました。「食道がんの人たちは横の繋がりがないので、患者同士の情報交換ができない。みんな悩みをいっぱい抱えているのだけど、それは自分だけではないかと思っている。だから、自分達医者が、患者会をたまに開いて、ちょっと交流していければなって思っているのです。」とおっしゃっていたのです。でもその時は、そうなんだと思って終わりました。

患者会を作ろうと考えたのはその翌年の6月、前立腺がんの疑いで生検組織診断を受けた時でした。

前立腺がんの覚悟はしていたのですが、生検で2泊3日の入院をしているときに、もしも前立腺がんだったら、メンタルが耐えられるのかと思ったのです。食道がんがあって、また新たに前立腺がんになったらどうなっちゃうのだろうと。その時になんとなく、今やりたいこととか、悔いを残すのはやめよう、あの時やっておけばよかったというふうに思うのは絶対もうやめようと固く誓いました。それで、そうだ、年末に食道がんの患者会がないって言っていたな。とりあえず7、8年再発してない自分が率先してやるべきではないか、その時にこれだと思ったのです。

それで入院をしていた1日で、どういう患者会をつくり、何をしようかという企画書を作って半年前に1回しか会っていない4人の先生にそれぞれメールを送りました。

たぶん頑張ってくださいっていう程度の返事だろうと思っていたのですが、それから2時間ぐらいの間に、ぜひやってくれ何でも応援するからと返事をいただいて、びっくりしました。

そこで、ボランティアをしたときに知り合った食道がんの人と、もう1人、慢性白血病の患者会をしている人に声をかけたら、その方も自分で手伝えることがあったら手伝うよと言ってくださったので、その2人を巻き込んで、1ヶ月で患者会を作りました。

それがちょうどコロナ禍が始まった2020年の7月でした。



-どのような活動をされていますか


今の括りとしては患者支援団体で、その中で、患者会を運営しています。


-今年も4月にイベントがあると聞きました


4月が食道がん啓発月間なので、2021年の4月から毎年4月に食道がん啓発イベントを行っています。今年で3回目になりますが、2023年4月23日に国立がん研究センター 築地キャンパスで、食道がんに対する啓発とか、治療方法(内科、外科、放射線科の専門的な話)、患者の立場での話などの内容で開催します。


「知って備えて 学んで予防 正しく知ろう食道がんのこと 2023」




-これからの目標はありますか


目標は、全国に食道がんサバイバーズシェアリングスの支部を作ることです。関東とか関西とか西日本、九州とかいくつかのブロックに分かれて、それぞれのブロックの近隣の人たちが、少し足を延ばしてもらえれば、顔を合わせて集まれるような患者会を作れればと考えて、それを目標にやっています。


がんになった方へのメッセージ


私は今患者会を主催していますが、57歳のときにスイッチが入るまでまさか患者会をやると思っていませんでした。

それがスイッチが入ったので、やる気スイッチっていうのは、いくつになっても、どこかに隠れているものだと思います。それを探して、押すのはやっぱり自分自身だし、誰でも持っていると思うので、決して諦めずにいて欲しいです。前のようには出来ないと思っているかもしれないけれども、また変わって、いつやる気スイッチが入るかもしれません。一概には言えないですが、その為には、自分が一歩踏み出さないと何も変わらないと思います。


-一歩踏み出すためのアドバイスは、何でもいいから参加してみる事でしょうか


時間の使い方っていう部分では、僕も癌になって残された人生というか、時間がちょっと短縮されているのではないかという意識があります。

その中で、どうでもいいことをしていたら、いつの日か大事なことをやろうと思ったときに、残された時間がないっていう可能性もあるので、やっぱり残された時間に優先順位をつけて、今できること、やってみたいこと、そういったことからまずやってみるのがいいと思います。それは、家庭菜園でも、釣りに行くでもいいですし、山登りでもいいですし、そこから色々なことが発生してくる可能性もありますので。


患者会を立ち上げたい方へのメッセージ


患者会って、僕もやるまでは全然わかんなかったのですけども、これをやんなきゃいけないっていうルールはないと思うのです。

患者会をやっていく上で、こんなことをしたら、何か言われるのではないかという葛藤がありながら、YouTube等での発信をしています。

なんか楽しそうに喋っているけど、10年間再発がないからそういうことが言えるんだろうと思われないか、人を傷つけるんじゃないかと、自分自身でも葛藤している部分があります。でも、ある時YouTubeを見た人に今の自分にとってあなたが言っていた9年っていう言葉が希望だって言われたんです。それで、そうか、そういうふうに受け止めてくれる人がいるのなら自分も頑張りたいと思いました。

患者さんの中に、たまに参加したりしなかったりで、つかず離れずでちょうどいい距離にいる方がいらっしゃるんですが、その方にとっては患者会はお守りみたいなものだっておっしゃられたんです。

患者会で作っている小冊子も、皆さんが「自分も何かやってみたい」ってすごく積極的にやってくださったり、「リレーフォーライフっていう日本対がん協会のイベントに参加しないんですか。」と言われて参加したり、Tシャツ作ったりして、患者会ってエンターテイメントだと最近気が付きました。なので、型にはまらずに自由にされるといいと思います。


―り患されて7年たってから、やる気スイッチが入ったというお話から、いつになっても興味のあることへ踏み出してみる大切さを感じました。これからも髙木さんの益々のご活躍をお祈りしています。


2023年3月28日

語り=髙木 健二郎

取材=がんと働く応援団 小野順子

文 =小野順子

写真=ご本人提供


経験者の声いかがでしたか?

皆様からの感想・応援メッセージお待ちしております





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