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生活とがんと私 Vol.9 谷島 雄一郎さん


長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ

そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。

いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時

慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。

”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。



インタビュイープロフィール


お名前:谷島 雄一郎さん 

職業:大阪ガス株式会社 ネットワークカンパニー 事業基盤部 コミュニティ企画チーム勤務


がん種:GIST(消化管間質腫瘍)

ステージ:ハイリスク    

治療内容:化学療法→手術→化学療法→ラジオ波 →治験→手術→ラジオ波→手術→遺伝子パネル検査(研究)→ラジオ波→手術→遺伝子パネル検査

仕事を休んだ期間:初回 2か月強 / 2回目以降 1週間~1か月


 


34歳(2012年7月)に食道に腫瘍が見つかり、GISTの診断を受ける。化学療法、手術、ラジオ波、治験、ゲノム解析と様々な治療を経験。フレックスなど会社の制度や有給休暇等を使いながら同じ会社での継続就労を行っている。ダカラコソクリエイト発起人・世話人/カラクリLab. オーナー


目次


・会社の制度や権利をうまく使いながら働く

・働きやすい環境を自ら模索し創る

・自分が生み出す価値

・様々なコミュニティとつながってみる

・会社に求めるのは安心と合理的配慮、そして情報



会社の制度や権利をうまく使いながら働く


―複数回の治療と仕事の両立はどのようにおこなってきたのでしょうか


患者にとって辛いのは、規則を杓子定規に適用され、がん罹患により変化の激しい自身の状況に対応した働き方ができないことです。両立する為に新しくルールや制度を作るのはとても難しい事はわかります。なので、まずは今あるルールを柔軟に運用し、制度や権利を使いやすくしてくれるかだと思います。例えば、フレックス制度や有給休暇等です。私は特別な制度を使って休んだことはないです。フレックス制度を利用して自分の働き易いようにしたり、身体が辛い時には気兼ねなく有休を使わせてくれたりする。これが一番ありがたいですね。


―既存の制度をうまく利用して働き続けてきたのですね


他にも休みの希望を毎回伝えるのではなく「オンラインスケジュールに休みの予定を入れて共有してくれたらOK」にしてくれた上司の柔軟な対応はありがたかったですね。


―そうした小さな配慮で両立のしやすさは変わったのですね


そうですね。業務内容や本人がどこまで病気を公表するかどうかでも、周囲の配慮は変わってきます。実際同じ会社でも両立に悩んでいる方はいます。上司、同僚、そして本人のがんに対するイメージや理解度が働きやすさに反映されやすいと思います。職場の経験値がとても重要だと考えます。


―働きやすい環境は元からありましたか


元々、仕事からプライベートまで何でも相談できる雰囲気の職場でした。例えば、抗がん剤治療により免疫力が落ちている時期は、人の少ないサテライトオフィスでの勤務を許可してくれる等、上司の裁量で出来る所は最大限柔軟に対応してくれたので助かりました。


―柔軟に対応してもらうために、がんの事を話す必要があったと思いますが、どこまで話しましたか


状況は包み隠さず全部話しました。私は仕事のパートナーの反応として2パターンあると思っています。1つめは「がんになったことをリスクと捉え、リスクの低減の最大化を図ろうとする人」、次は「何とかしてやりたいと考え、パフォーマンスの最大化を図ろうとする人」。両立するのがしんどいと感じるケースの大体は、がん患者をリスクと捉えている時。例えば上司が前者のような考え方だと厳しいです。その場合、ルールをがんになった社員を排除するために使ってしまいがちです。一方で「何とかしよう」と思っている上司は「両立を助け、パフォーマンスを最大化する」ためにルールや制度を柔軟に運用してくれるのではないかと思っています。


―谷島さんの上司は後者だったという事ですね


普段コミニュケーションしない人たちと話す際「伝え方失敗した。自分の味方じゃないかもしれない」と感じた時がありました。自分の事を知っている上席のみなさんは、親身になって「何とかしよう」と考えてくれましたが、相談先によっては、私の働き方を”安全サイド側”に立ち提案してくれる。結果、制限をかける方向の対話に終始なることもありました。組織で働く以上、それは当然のことですが、働きやすい環境をつくるために、組織のキーマンが味方になってくれるよう戦略を立てることは大事だと思っています。


―目の前の相談者のコンディションをその人目線で考え、活躍できるようサポートしようとするかで制度の使い方も変わるということですね。


誰にどういうサポートを依頼したいのか考えて、同じ事実でも話す情報と伝え方を変えていく。それは日常行う仕事と一緒ですよね。なので、欲しい配慮があれば相談したらいいと思います。仮に上司の理解が得られない様であれば、産業医にしっかり話して上司に配慮の必要性を伝えてもらえるようにすればいい。私の場合、上司が自分の裁量でうまくサポートしてくれていたので伝える必要はなかったですね。


―その時はどのようなお仕事をされたのですか


地域開発・まちつくり的なプロジェクトを担当していました。大規模開発や地域活性化のためのプロジェクトがあったらインフラ企業として、地域をよりよくする為に出来る事の提案を行う仕事です。自治体や学識者、デベロッパーなど様々なステークホルダーと協働し、地域のよりよい未来をデザインするという仕事です。アウトプットの形も多様で、定量的な業務ではなかったので、自分の考えや裁量で進めやすく、両立出来た一つの要因かもしれません。


働きやすい環境を自ら模索し創る


沢山の人が携わっていた中長期的なプロジェクトだった前の仕事は、後任に引き継ぎました。でも良かった点として、長年携わってきたまちづくりの仕事は本業であるエネルギー事業だけでなく、文化・芸術・スポーツ等、人の暮らしに携わることは何でも扱える幅の広さがあり、次は自分で企画を出し、新たなプロジェクトに着手する事ができました。


―治療をしながら新規プロジェクトの立ち上げは大変ではありませんでしたか


私は治療と仕事を両立していくうえで「待ち」にならない事が重要だと思います。誰かの「指示待ち」にならない。自分から提案して進めていくことで、自分の価値を示していく。そうする事で、自分で決めて動いていけます。がんの患者さんは他者のペースでコントロールされるから辛くなるのではないでしょうか。人の決めたスケジュールで動くことで辛くなるなら、それを避けるために自分にしかできない仕事を作って取組んでいく。自分でコントロールできる部分が増えると働きやすくなると私は考えました。


―昔からそういうマインドだったのですか。


昔はそこまでではなかったです。嫌なことも我慢しないと出世にはつながらないと思っていましたが、病気を経験してからは出世や会社の中のポジション争いよりも「自分にしかできない事で価値を残したい」という想いにシフトしました。


―それまでと違うゴールを目指すようになったのは病気を経験したことが大きいのですか


がんの患者さんは「価値観の変容」という経験をします。命にかかわる状況になったことで、良くも悪くも価値観が変わります。いい点は、自分が人生において大切にしたいものがはっきりしてきて、やりたい事ややるべき事にフォーカスし、より自分らしく充実した人生を生きていけるようになる。しかし一方で、自分のいるべき場所ややりたい事といった、自分の今を疑問に思いはじめ、思春期のように「自分らしさ」を求め彷徨ってしまう。よく言えば”目覚める”、悪く言えば“拗らせる”、そんな方もいるかもしれないですね。


―自分の内省を聞くようになるということなのでしょうか


自分に素直になり「目覚める」けど、能力は病気の前と変わらない、むしろ体力的にはダウンしてしまっているから、ただの面倒な人になってしまう事もある。私は、そこは考えて「会社にもメリットが出て、自分もやりたい事」を考え、提案しシフトしました。自分のとってのマイナス面は、他の人でもできることはできるだけ手を出さない癖がついてしまったことで、それは組織で仕事をするサラリーマンとしてはちょっと良くない所かもしれないと感じていますね。



―新しく取り組みを始めたお仕事について教えてください


ソーシャルデザイン室(当時。現在はコミュニティ企画チーム)という、地域の皆さまと共に、よりよい未来をつくる仕事をしています。障がいのある人や子どもの支援といった社会貢献的なことから、地域の課題を新たな手法で解決しようとするソーシャルデザイナーとの共創など、様々な取り組みを行っています。がん経験者による活動の支援もしており、自身のがん経験を十分に生かせるフィールドで働けていると感じています。


自分が生み出す価値



―長い間治療と仕事の両立を行ってきていると思いますが、モチベーションはなんでしょうか


人間は「必要とし必要とされている関係」の中で生きていたいのではないかと思います。仕事とは「社会に価値を提供すること」だと思っています。なので、病気になったことで「自分が価値のない人間じゃないか」と思い始めた事が辛かったです。どんどんそれまで手掛けた仕事を引き継がざるを得なくなり、どんどん後輩に抜かれていく。悔しいし、支えられるだけの存在ってみじめだと感じました。そこに対して「何か救いがないのかな」と考えた時に、「家族や友人等、大事な人たちの未来の為に何かを残していく」のが自分の救いになると思いました。他人と比べなきゃいけない数字の価値とか、お金の価値だとしんどいので、自分しかつくれない価値を提供する事が自分の救いになるのかなと思いました。今の仕事は自分が救われたいからやっているってことですね。


―辛い時に救ってくれるのは他人じゃなくて、自分が生み出す価値ですか


自分にしかできない事を価値に変えて、未来に関わっていく事が救いになると思ってやっていますね。


―いつ頃からそう考えるようになりましたか?


2012年に罹患し、標準治療が無くなり始めた年ころ2014年ころから思い始めました。

それまでは治す事とか今まで通り働く事を目指していました。でももう絶対無理だと、そこを目指したら救いはないと思い「死んでも価値が残る、未来に関わる事」を考えモチベートしています。


―誰かと相談してそこに行き着いたのですか?


最初は自分で考え、ふと「他の人はどうなのか」と思い同じ現役世代の話を聞きに行きました。例えば「妊孕性をなくし、子どもは産めなくなったけれど、その分、社会に何かを残したい。」「患者という弱い立場になったけど、社会に求められたい。」「患者以外のアイデンティティが欲しい」とか。同じような事を思っている人の話を聞きました。そして「だったらそれを価値に変えて、世の中に役に立つ形で残したい」と思い始めました。


様々なコミュニティとつながってみる


―患者会には参加したことありますか?


最初に行ったのは、年配の方が多い、自分と似たがん種の患者会でした。私のがんはGISTでありながら、薬が効かないタイプでした。なので、患者会の参加者が薬の効果や副作用の話をしていても、余計孤独感を感じたこともありました。一時期は積極的にアクセスしなかったです。患者としての経験が長くなった今は、必要な情報を得たり、お互いエンパワーし合ったりと、患者会は自分にとってなくてはならない場となっていすが、罹患当時は立ち振る舞いが難しかった部分はありましたね。特にがん種をキーにして参加する場所を選ぶと、治療や副作用対策が会話のメインになりやすく、病気の進行度合いに差があると共感が難しくなることがありますね。


―がんの患者会に行くなら、どういうものを目指していくといいですか?


自分が欲している情報を求めていくのがいいと思います。病気の治療に関する情報なら、同じがん種の患者会がいいと思います。気持ちで共感できないところは雑音として聞き逃す。そうしたらストレスにならないですから。生活についての悩みや、気持ちのサポートはがん種と関係ないくくりの患者会やピアサポートプログラムとかに行ってみる。実際、がん種は違うけど気持ちの部分は共感できる人と私は沢山会えました。なので、何を求めるかによって使い分けするといいと思います。


―ご自身のお気持ちを強くさせたのはAYA世代の交流会ですか?


そうですね。「同じような気持ちをもっている人がいるんだなぁ」とすごく感じました。STAND UP!!の関西の交流会、あとチャイルドケモハウスでのAYA世代のピアサポートプログラムに参加して、そこで色々な人との繋がりができ、沢山の気付きがありました。ただ、40歳を過ぎた今では、逆にAYA世代のコミュニティには参加しづらくなったりします。なので、例えば子供がいる・いない、病気のステージ4、性別、仕事の悩み等その時々で様々なコミュニティと重層的につながり、上手く活用したらいいと思います。



会社に求めるのは安心と合理的配慮、そして情報


―これから両立をサポートする人事上司に対するアドバイスはありますか


大きく2つあると思っています。1つは「安心感」。組織として人を大事にするという意思表示と、風土作りが大事な事だと思います。患者は常に不安を抱えています。「仕事を続けられるか、辞めさせられるのではないか、不本意な異動をさせられるのではないか」など。がん経験者が無理せず働き、最高のパフォーマンスを出すには「自分の会社はがんになっても安心して働ける」と思える風土作りが大切です。

2つ目は「合理的配慮」。特に「ルールや制度を柔軟に運用する」ことが大切です。がんは個別性が高い疾患なので、個人に合わせて柔軟に対応する必要があります。それには「相談しやすい職場にすること」が必要です。「安心感と柔軟性」というものを会社に提供して欲しいです。


―相談しやすい雰囲気にする為にはどうしたらいいと思いますか。


まずは社内の啓発が必要だと思います。昔に比べて「パワハラ」って減っていますよね。自分のいる会社も社員教育をしっかりやり、敏感になってきています。言葉使いなども以前と比べてマイルドになってきました。大事なのは、普段から意識して出来る人はもうできているので、気がついていない人達の最低レベルを引き上げ、平準化していく必要があると思います。一言でいうとダイバーシティ&インクルージョンの推進となるのですが、がんに限らず多様性のある人材と、どうパートナーシップを築いていくべきか社内で対話や啓発の機会を継続して設けていくことが、風土を変えていくのにつながると考えています。



―その他治療と仕事の両立を企業が支援している事を伝える具体的な案などはありますか



制度を充実させることも一つの手です。お金、特別給付金とか、保険。休暇の制度とか、有給積立、勤務に関してもフレキシブルな勤務等があります。けれども、コストを考えるとなかなかすべての実現は難しい。しかし、簡単にできる事もあります。例えば、情報の提供はすぐ取組める支援方法だと思います。その情報には3種類あると思います。

①がんに関する信頼できる情報源を教える。

②公的支援制度を紹介する。

③社内の制度。会社独自の休暇制度、休職制度や保険組合の制度など。


病気にならないと調べないし、いざなってから調べるとなると大変な情報をパッケージとして会社が提供してあげると、患者にとって大きな助けになるのではないでしょうか。



―治療と仕事の両立をこれからするがんになった人へのアドバイスをお願い致します


会社でそれまで信頼を構築しておくことがまずは一番大事だと思いますが、現状「治療と仕事の両立このままだとしんどい」と感じている人は、自分のキャリアをコンサルティングしてくれる人に相談してみるといいと思います。「職場とどうやり取りしたらいいか、自分の想いをどう伝えたらいいか」とか共に考えてくれる人ですね。まずは組織の事情をよく理解し、社内に人脈のある上司や先輩が良いでしょうが、内容によってはがん相談支援センターや、そこで紹介してもらえる民間の支援団体なども大きな力になってくれると思います。とにかく1人で悩まず、助けを求めるというアクションが大事だと思います。


―自分から働きかけられる人材になれるようにしたらいいと思うわけですね。


私も自分の状況や会社へ与える影響を資料にまとめて伝えていました。でも、そういうことが苦手な方もいらっしゃるでしょうし、そういう場合は先ほど述べたように、助けを求めると良いと思います。本当はそういう相談に専門的に乗ってくれる公的支援があればよいのですが。


―会社に伝える為の情報を共に見てくれる人、いいですね


そうですね。難しいのは、キャリアをどう築いていくかという悩み。がん相談支援センターや両立支援コーディネーターに相談しても、彼らは会社の事情を知らないという点がある。社内にある程度影響力を持った所がコンサルティングしてくれるのが理想ですね。例えば人事部とかにそういうのがあればいいと思います。いざ相談事があったら、そういうところにつないでくれるシステムがあったらがんを経験した人も孤立したりもせずスムーズに継続就労していけるのではないかと思います。


―本当におっしゃる通りですね。パワフルに社会に対してアイディアを投じてくれる谷島さんの声を企業が活かしてくれることを私たちも願っています。本日は貴重なお話ありがとうございました。


2021 年 8月10日

語り=谷島雄一郎

取材=吉田ゆり

文 =豊田志織(GHOボランティア)

写真=ご本人提供


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