top of page

生活とがんと私 Vol.1 永江耕治さん

更新日:2020年11月16日

がんと働く応援団 連載企画 Vol.1

~ 生活とがんと私 ~


長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ

そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。

いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時

慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。

”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。


2020 年 5 月 29 日

語り=株式会社エーピーコミュニケーションズ 永江 耕治

取材=一般社団法人がんと働く応援団 野北 まどか

文 =一般社団法人がんと働く応援団 吉田 ゆり 

写真=株式会社エーピーコミュニケーションズ提供


インタビュアープロフィール


お名前:永江 耕治

職業 :株式会社エーピーコミュニケーションズ 取締役副社長

がん種:精巣腫瘍

ステージ:ステージI

治療内容:手術→BEP療法2クール→寛解

1973年生まれ、神奈川県育ち。青山学院大学卒業後、Web制作会社勤務を経て、

2002年に株式会社エーピーコミュニケーションズに入社し、

2008年執行役員、2018年取締役副社長に就任。2012年、業務の傍らMBA(中央大学大学院人的資源管理専攻)を取得。

2010年、36歳の時に精巣腫瘍が見つかり、手術、抗がん剤治療を受け、半年後に復職を果たした。その後は、仕事を続けながら、がんに関わるさまざまな組織役職に就任。現在は「がん医療と職場の架け橋」アドバイザー、「一般社団法人キャンサーペアレンツ」理事も務めている。



目次

・エーピーコミュニケーションズについて

・両立を実現する上で大切なのは制度だけではない

・永江さんのがんを見つけた時どうしたか

・がんになってもキャリアアップできる

・がんになる人はこんなにいる、ただ目立たないだけ


―エーピーコミュニケーションズ(以下、APC)について教えてください。

スローガンは【エンジニアを熱狂させる】

当社はお客様の課題をITインフラという側面からサポートしながら、その課題を解決していくシステムインテグレーター(SIer)と呼ばれる業種です。お客様先にエンジニアが常駐してシステム開発や運用、コンサルティングを行うことが主な事業内容です。合わせて受託開発や、エンジニアの業務を軽減するプロダクトやサービスの開発も行っています。平均年齢は35歳で、男性8割・女性2割という社員構成になっています。


―治療と仕事の両立の為に御社でされている事はありますか


大企業というわけでもありませんので、特別な制度が沢山あるというわけではありません。しかし、2020年1月から時間単位の年次有給休暇制度を導入しました。


1年間に5日間、1時間単位で取得が可能というものです。

この制度は病気の為だけではなく、子育てや介護など様々なライフスタイルに合わせて皆が使える制度をと検討し、導入しました。

がん治療だけに関わらず、勤務時間に融通が利くというのが「治療をする」・「体調がちょっと悪い時に休む」という事が出来る環境につながります。臨機応変に休みが取れるだけで(両立のしやすさが)全然違うという共通の認識があります。


―導入に当たり、難しかったことはありますか


難しかったところは、それに合った運用システムがなくてはいけないというところでした。当社は社員の勤務パターンが多岐に渡るため、勤怠システムにはかなりのカスタマイズが必要となります。これまで使っていた勤怠管理システムでは対応できなかったので対応できる物を比較検討し、自社のニーズにあったシステムを別途導入しました。

制度を考える時は気持ちだけではなく、日々スムーズに運用できるように環境を整える必要があります。


両立を実現する上で大切なのは制度だけではない


(両立という部分でいうと)制度に関しての事をよく聞かれますが、制度だけが大切なのではないと思います。正直、人を想う気持ちがない職場は制度があってもうまくいきません。

コンパッション(ただただ相手の事を考える)という考えが大切だと思います。

具体的な制度がなくても、サポートをしようとしていることが本人に伝わるだけでも心理的安全性は確保されると思うんです。


―制度VS風土はとても大切なポイントですね。

 文化の部分がないと制度はあっても使えない、言い出せないという話をよく

 聞きます。御社はもともと言い出せるような風土があったのでしょうか。


がん罹患者は当社では自分だけなので、他の実例がないのでわからないです。

ただ、産休取得率が高い事から、“育休を取得しやすい雰囲気が出来ている=ライフイベントを受容する風土が出来ている”という事だと思いますね。

がんになった当時、私は執行役員で上司は社長。社長からは「いつでも帰って来い」と言われていたので不安を感じる事はありませんでした。がん罹患者をサポートする制度はありませんでしたが、社長の一言がなによりの安心感の源になっていました。


―企業担当者に向けたメッセージをお願い致します


必ずしも大企業のような制度を作る必要はありません。

罹患した方に合った配慮を、出来る範囲でやるということが大切です。

制度を気にしすぎる必要はなく柔軟に運用し、企業側と罹患した方“双方”で話合いながらすすめていくのがいいではないでしょうか。


永江さんががんを見つけた時どうしたか


―永江さんご自身について教えてください。


学生の頃にWEB制作のアルバイトをしたことがスタートで、その後プログラマーになり、エンジニアとしてAPCに中途入社しました。

8年技術者として働き、その後2004年にマネージャー、2005年に部長、2008年に新規部署執行役員に就任。2015年に人事制度や評価を担当する執行役員になりました。

その後も2年間事業部執行役員をやり、今の全体の執行役員になりました。


―がんになった時の事を教えてください


2010年にがんになりました。病名は精巣腫瘍で、8月に告知を受け、その当日手術、そして治療が始まりました。それまでは終電で帰るばかりの生活だったのですが、この経験は「以前のような生活に戻るのはどうなのだろう」と考えるきっかけになりました。

半年間休職をして復帰し、初日は定時で帰りました。「これからは長時間労働はやめる」と考えていましたが、3か月後には普通に戻っていました。今は長時間の残業をすることはありませんが、ワーカホリックであることは変わりません(笑)

しかし、心がけとして『家族との時間を大切にする』というのが出来ました。



がんになった時の事は、実名で毎日Twitterに投稿していました。それが、新たな人との繋がりをうみ、そこから生まれたご縁もあり、社外で話したりアドバイスするという活動を積極的に行う事につながりました。その頃から社会の為に何かしたいという思いもありました。

インタビュー記事がウェブメディアに掲載される事も増え、自社の社員も自分の病気を知る事につながりました。



―半年の休職を決めるのに不安などはありませんでしたか


最初から休職期間が決まっていたわけではなく、転移がどれくらいあるのかで変わるものでしたので治療をしていく過程で決まっていきました。

いつになったら終わるかはわからない、当時の心境としては今経験しているコロナウイルスのような感じでした。


―自分の仕事をどう回そうと思っていましたか


仕事の不安はありませんでしたが、それと社会復帰できるかは別問題。

社長は「いつでも帰ってこい」と言っているし、会社に対する信頼はあったけど、(会社の)状況は変わるし、自分がどうなるのか、本当に働けるようになるのかという不安はありました。


―その不安感をどのように乗り越えていきましたか。


不安への対処については、たぶん年齢が良かった。

罹患したのは36歳の時だったので、それまでの経験値があった事で物事を受け止められたのはとても良かったと思います。

もし罹患したのが20代だったら、ストレスや物事の捉え方が違い、うまく対応できなかったかもしれない。仕事を通して沢山大変な思いを経験していたことがあったから受け止められたかもしれません。


―不安に対する対処のコツをこれからなるかもしれない人へアドバイスするとしたら


当時探したものは、良くなった人たちの事例(ブログ等)でした。働く世代で罹患すると、「また働けるのか」という不安が出てきます。そんな時、元に戻れる人がいる、そういう実例を見るとそれがたとえ、同じがん種の話でなくても本当に励みになりました。自分もいつかそうなれるといいなと希望の一つとして読んでいた時がありました。


がんになってもキャリアアップできる


―確かにそういう人の話を目にすると元気になりますね


メディアは悲劇の方を伝えがちです。そちらの方が感動を呼びやすいですからね。

そんなことから、がんになっても普通に生活している方はニュース性が少なくて伝えられていませんでした。最近そんなメディアの姿勢が批判され、緩和されてはきましたが。

その結果、多くの人が未だにがんになった事は公表したくないと考えています。なぜなら、「早くに死んでしまうかもしれない」、「再発するかもしれない」と相手に懸念され、就職、結婚恋愛の差別につながるかもしれないと感じているからです。

そうした不安を感じているAYA世代のがん罹患者の人達に、「がんになってもキャリアアップ出来る」という事を自分は伝えたいと強く思っています。


―復職後、自分の希望と現実とのすり合わせ・工夫や葛藤を教えてください


周囲も普通に接していましたし、葛藤はそんなにしていませんでした。

極力残業しないようにと思っていましたが、2週間もしないうちに休日に出て欲しいという声がかかったり(笑)そして、2011年1月に復帰した後まもなくして東日本大震災が起きました。

その時自分は、人事の一番責任あるポジションにいたので他の役員と共に、社員の安否確認を翌日昼までずっとしました。一夜明けた後も昼までやって、やっと全員の安否確認をして帰りました。

その後も計画停電、客先勤務についての調整など、イレギュラー対応を先頭に立ってやらなくてはいけない時期があり、徹夜続きもありました。

責任あるポジションだったからこそ、あれがきっかけで再覚醒した感じですね(笑) 

しかし、『家族との時間を大切にする』という考えに変わったというのは根底に残りました。



入院中、いつ社会復帰できるという保証がありませんでした。

転移はありませんでしたが、後遺症が残る可能性もありました。

なにも確実なものがない中、病室の外、朝晩スーツ姿の人を見て、心の底からうらやましいと思いました。「仕事大変で、満員電車嫌だけど、明日どうなるかわからない気持ちで病室にいるよりも全然いいな」と本当に思いました。それは今でも忘れられません。

がんになった経験から、日常に対する感謝の気持ちは強く持てるようになりました。

感謝の気持ちを持てるようになるとストレス耐性も強くなると今は思っていて、それは仕事に対しても活かされてると思います。


―企業に受け皿がない、がんに対する誤解が多い等継続就労に悩んでいる罹患者にアドバイスいただけますか


企業のメンバーから「残って欲しい」と思われる人であれば制度がなくても臨機応変に対応してもらえて何とかなります。したがって当事者になる人の信頼貯金も重要です。

患者団体に参加した時に感じたものだけど、「がんになったから」と一律に下駄をはいて「私の為に何かをして欲しい」と思うのは違う。最低限のセーフティーネットは必要だけれども、一律のものを企業に対して求めるのは難しいと思います。

やはり病気になる前までに培った人間関係や貢献によって、その後受けられるサポートは変わってくると思います。


では、具体的にどうしたらいいかと聞かれたら、「問題解決のプロセス」で復職後の生活をイメージし、考えた方がいいかと思っています。

がんを罹患した人が就労に苦労している→どこに問題がある?→なぜ問題が発生している?というような形で考えていきます。ぼんやりとしたイメージではなく、具体的に問題点を見つけ共有する事で周囲からの理解やサポートが得られやすくなるのではないでしょうか。


―ご家族との関係はなにか変わりましたか


家族構成は同い年の妻と娘が1人です。当時娘は3歳で、妻は仕事をしていました。

その頃自分は「社会は変わっていく、市場価値は高め続けなくてはいけない、勉強は仕事以外でもやり続けなくてはいけない」と思っていました。

なので、家族を養うため自分がもっともっと頑張らなくてはいけないと思い、仕事以外にもMBAを取得するために社会人大学院に通ったりして、週7日間自分の為に時間を使っていました。病気後もそのスタンスが変わらなかったことで妻に怒られ、反省しました。


がんに罹る前の自分は未来の事ばかり考えていて、目の前にいる家族を見ているようで見ていなかったのです。例えば、3歳の子供を公園に連れて行っても、スマホで仕事の連絡をしたり、いつも仕事をしていました。

子供を見つつも、頭の中ではいつも仕事していて目の前にいる子供を見ていなかったという事に、がんになって初めて気がついたんです。「今この時間、ここにいるというのは重要なんだ」という事にようやく気がついた瞬間でした。今も時々忘れるけど、戻ってこられるようになりました。


がんになる人はこんなにいる、ただ目立たないだけ


―罹患する前とした後の自分を比べてみて変化して良かったと思うところはありますか


がんになった事を隠さずにオープンにしてきた事で、新しい出会いや私を覚えてくれる人が増えました。それは“がん”が人の関心を呼び、自分の人生を豊かにしてくれたということ。


罹患する前は知らなかった「20代~40代でがんになる人がこんなにいるんだ、ただ目立たないだけなんだ」という事に気がついて驚きました。

がんになった方や関わっている知り合いも増えてきました。

こういった友人知人が増えるということは、悲しい事に普通の同世代よりも友人をなくす機会が多いです。しかし、彼ら彼女らに出会えてよかったという気持ちの方が強いです。

がんになった事は、自分の人生にはプラスになっている事が多いと思っています。



―がんと生き続ける人に対してのメッセージをお願い致します。


自分は今、がんに罹患した当時励みになった言葉を胸に生きています。

「がんになる前よりもがんになった後の人生をよりよくすることだってできる。」

がんになったとしてもより良い人生に出来る人はいるし、出来るものだと思います。

そして自分もそういう人でありたいし、伝えたいと思っています。

現に、10年前より悪い人生を送っているかというと今はより充実した人生を送っています。

がんになったから不幸だと悲観していない、大変だったけどよりよく生きているし悪いだけではなかったと思っている。

安易なポジティブシンキングでみんながそうなれるわけではないけれど、

All Or Nothingでもない。そこを知ってもらえたら嬉しいです。




感想・コメントはこちらへ https://forms.gle/QYnpW2fwbjPYac5k9



がんと働く応援団では、様々な知見を持った専門家が相談を受付けています。

まずはコロナ期間限定の無料メール相談を活用してみてください。

ご相談はこちらから


企業むけライフイベントと仕事の両立支援研修の詳細はこちらから


閲覧数:947回0件のコメント

最新記事

すべて表示

生活とがんと私 Vol.19 藤原 真衣さん

“がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。今回は28歳の時、バーキットリンパ腫にり患した女性の体験談です。

目次1
bottom of page